GOODSMILE RACING & TeamUKYO RACE REPORT 7
2025 AUTOBACS SUPER GT Round7 AUTOPOLIS GT 3Hours RACE
会期:2025年10月18日(土)19日(日)
場所:オートポリス(大分県)
観客:予選:10,000人 / 決勝:16,000人
獲得ポイント:〈ドライバー〉6Pts / 〈チーム〉9Pts
シリーズ順位:〈ドライバー〉谷口・片岡 3位(66.5Pts), 中山・奥本21位(16Pts) /〈 チーム〉1位(102.5Pts)
2025年のSUPER GTも残すところ2戦。今季、力強い走りをみせているGOODSMILE RACING & TeamUKYOは、ドライバーランキング3位、チームランキング1位という、シリーズチャンピオンを十分に狙える位置でこのレースを迎えた。
チャンピオン獲得に向けて、チームのこのレースでの目標はただ一つ、チャンピオンシップを争うライバルよりも多くのポイントを獲得することであった。
今大会の決勝は、第2戦以来シーズン2回目の3時間レースで争われる。レースのルールは第2戦富士で行われた3時間レースと同じく、ドライタイヤ6セット、ウェットタイヤ8セットの持ち込みが許され、決勝レース中、給油を伴うピットインを2回行うことが義務付けられていた。ただしセーフティーカー中のピットインは、この義務付けられたピットストップの回数にはカウントされない。
そしてシーズン第7戦となる今大会は、獲得ポイントに応じて課されるサクセスウェイト(SW)が、これまでの「ドライバーズポイント×2kg」から「×1kg」へと半減される。 しかし、77ポイントを獲得しランキング上位を走る4号車は、依然として上限の50kgを搭載し。それに加えて給油時間に大きな影響を与える2段階の給油リストリクターが装着されるという、極めて厳しいハンデキャップを背負っていた。特にこの給油リストリクターは、3時間で2回の給油が義務付けられる今大会において、ピット戦略に大きな影響をもたらす。
今大会のMercedes-AMG GT3のBoP(Balance of Performance/性能調整)は、重量が前戦菅生よりさらに5kg追加され、マシン重量はクラス最重量の1350kgとなった。さらにエンジン出力を調整するエアリストリクターは変わらず34.5mmを2個装着する。
サクセスウェイトとBoPによって厳しい状況は予想されるが、チームは一丸となってこの逆境に立ち向かい、王座獲得へ向けて全力で上位を目指す。
10月18日(土)【公式練習、公式予選】
天候:雨
コース:ドライ/ウェット
気温/路面温度 :
GT300 Q1開始時:20℃/24℃
GT300 Q2開始時:20℃/24℃
終了時20℃/23℃
この日は天気予報では午後に雨になるとされていたが、朝は若干の雲は出ているものの概ね快晴で穏やかな気候だった。午前9時25分、気温24度・路面温度31度の環境で公式練習が始まった。 オートポリスは阿蘇山からの火山灰や近隣の山から風で運ばれる土埃がコース上に積もりがちで、一方でレースの開催数が少ない為、路面がダスティで滑りやすいと言われている。そこで最初の搭乗を担当する片岡選手は、コースオープン後もすぐにピットから出ず、他車が走行して土埃が取り除かれるのを待ち、9分ほど経ったところでコースへと向かった。
片岡選手は4周目にまずは1分46秒117を記録し8番手とすると、ここからピットインを繰り返してセッティングの調整に入った。
午前10時9分に62号車(HELM MOTORSPORTS GT-R)がコース脇に止まり、回収のために赤旗が掲示された。だが、この時4号車はピットでデフのセッティング調整という時間のかかる作業をしていたため、走行メニューに大きな影響は受けずに済んだ。
マシンバランスの改善が済んだところで、NEWタイヤに付け替えアタックシミュレーションを試みたが、コース幅が狭いここオートポリスではうまくクリアラップが取れず、ピックアップも発生してしまった為に折角のNEWタイヤにも関わらずタイム更新ができなかった。 片岡選手は25周を走ったところでピットへと戻り、谷口選手と交代した。
谷口選手は午前10時50分からのFCYテストと午前11時10分からのGT300専有まで走り切り、タイヤのロングラン性能の確認を進めた。
このセッションの4号車グッドスマイル 初音ミク AMGのベストラップは、4周目に片岡選手が記録したタイムで、クラス14番手で終えた。
午後2時45分、GT300クラスQ1A組の走行が開始された。予報通り天気は午後にかけて崩れ、予選前に開催されたFIA-F4決勝レースは小雨が降っていたが、幸い予選開始時には雨は上がり路面もウェット呼ぶほどではない程度に乾いていた為、ドライタイヤで予選に臨む事ができた。雨こそ落ちてこないものの空は雲に覆われ、気温20度、路面温度24度まで下がっていた。
4号車グッドスマイル 初音ミク AMGのQ1アタックドライバーは谷口選手が担当。 Q1はチームランキングをもとに2組に分けられ、ランキングトップの4号車はA組に分けられていた。
谷口選手はセッション開始と共にコースに向かい、ウォームアップを進めると、4周目に1分45秒000を記録し2番手に立つ。しかし、直後に61号車(SUBARU BRZ R&D SPORT)、56号車(REALIZE NISSAN MECHANIC CHALLENGE GT-R)が上回ってきたため4番手に後退したものの、Q2進出を決めた。
しかしここでトラブルが発生する。61号車がタイムアタックを終えてピットに戻る途中、エンジンブローを起こしてマシンをコースサイドに止めてしまった。その際にコース上にはオイルが撒かれ、この処理のため、その後の進行が15分遅れとなった。
午後3時18分にセッションが再開され、GT300のQ1B組がコースインする。この頃には、少しずつ雨粒が落ち始めていた。この時も幸いにB組予選が完了するまで路面を完全に濡らす事はなかった。
その後、GT500のQ1が行われる中、徐々に雨脚は強くなっていった。雨雲レーダーを確認するとそのまま降り続ける模様。Q2ではドライタイヤかウェットタイヤか、どちらを装着するべきか各チーム頭を悩ませていた。
午後3時53分、GT300クラスQ2がスタート。4号車は片岡選手が担当する。
ウェットタイヤを装着するチームもいた中、4号車はドライタイヤを選択してトラックに向かった。もちろんピットでは天候の変化に備えてすぐにウェットに替えられる準備もしてあった。
雨で冷えた路面でタイヤを発動させる為、片岡選手はウォームアップに4周を使った。そしてQ2の制限時間いっぱいの5周目、渾身のタイムアタックに入る。片岡選手はセクター1、セクター2と自己ベストを叩き出し、ピットでは上位チェッカーへの期待が高まったが、ここで前を走る11号車(GAINER TANAX Z)がセクター3でクラッシュ、さらに26号車(ANEST IWATA RC F GT3)もコースオフしてグラベルにハマり、4号車にとっては最悪のタイミングで片岡選手の行く先2か所に黄旗が掲示されてしまった。この黄旗区間では当然減速したが、それでもタイムは更新され1分45秒737で11番手となった。
ただし、SUPER GTでは黄旗が掲示された周のベストラップは採用されないというルールのため、このタイムは抹消されてしまい、セカンドベストの1分47秒451が採用され13番手からのスタートとなってしまった。
ポールポジションは2戦連続となる7号車(CARGUY FERRARI 296 GT3 )が獲得。チャンピオンシップを争う65号車(LEON PYRAMID AMG)は4番手、56号車は15番手という結果となった。
10月19日(日)【決勝】
天候:曇り
コース:ドライ
気温/路面温度:
スタート直前(13:00)23℃/29℃
序盤(13:55)23℃/29℃
中盤(14:25)23℃/28℃
終盤(15:25)22℃/26℃
ゴール(16:15)22℃/25℃
サーキットに向かう阿蘇のミルクロードは濃い霧に覆われ、チームがサーキットに到着するとフラッグを振るポストが見えるかギリギリというコンディションであった。 しかし、サポートレースのFIA-F4が行われている中、次第に霧は晴れていった。
FIA-F4の決勝レース、ピットウォークを経て午前11時40分から決勝前のウォームアップ走行が始まった。 4号車グッドスマイル 初音ミク AMGには片岡選手が乗りこみ、雨が降ることも予想される決勝に向けてウェットタイヤの皮剥きをおこなった。 皮剥きが終わると、ドライタイヤに戻し、決勝に向けたバランスの確認を進めた。全部で9周を走り、ベストタイムは1分48秒052の11番手で終えた。
午後1時10分、大分県警の車両を先頭にパレードラップが始まった。警察車両がピットに戻るとセーフティーカー先導のフォーメーションラップが行われた。 そして、セーフティーカーが戻り、午後1時16分から3時間のレースが始まった。
4号車グッドスマイル 初音ミク AMGのスタートドライバーは片岡選手が担当。スタートからのポジションアップを狙い加速していったが、前の26号車がスタートライン直前でなぜか減速したために、片岡選手は追い越してフライングとされない為にアクセルを戻さなければならず、1コーナーに向けての加速が鈍ってしまった。 そこに56号車が迫り3コーナーからサイドバイサイドとなると、4コーナー、第1ヘアピンと横並びにされ、100Rで前に出られてしまった。これで14番手に後退。抜かれた後、前の56号車と後ろの18号車(UPGARAGE AMG GT3)とは1秒以内で周回していたが、56号車は徐々にペースを上げていき、前の26号車に勝負を仕掛けポジションを上げていってしまった。
10周目、GT500車両がバトルの中で1台コースオフし、バリアにあたりマシンを停めてしまったためにFCY、そしてSCが出された。ここで給油のためにピットインする車両が何台か出たが4号車はステイ。16周目にレースが再開されると、片岡選手は45号車(PONOS FERRARI 296)を第2ヘアピンで抜き13番手に上がる。17周目には同じく第2ヘアピンで60号車(Syntium LMcorsa LC500 GT)をオーバーテイクし12番手に。 片岡選手は次のターゲットの5号車(MACHSYAKEN AIR BUSTER MC86 MACH GO)に一時は1秒以内に追いついたものの、車重が200kgも軽くストレートスピードが勝る5号車のテールに着くことが出来ず、GT500に抜かれる際のロスもあり徐々に引き離されてしまった。
20周前後からライバルたちが次々とピットへ向かう中、片岡選手はステイして周回を重ねていった。 そして、上位勢では一番遅い42周を走ったところでピットへと向かい谷口選手へと交代した。給油とタイヤ交換をしてコースへと戻ったが、給油リストリクターの影響が大きく22番手でのコース復帰となった。
47周目、30号車(apr GR86 GT)を2コーナーで抜き21番手に。さらにまだピットに入っていなかった48号車(Datsumou K’s Frontier GO&FUN NEKONEKO GT-R)がピットへ向かったことで20番手へとあがった。 51周目に100Rで45号車を抜き19番手とした。
56周目、360号車(RUNUP RIVAUX GT-R)がマシントラブルでピットロードエンドに停まった影響でFCYが出されたが、回収作業はスムーズに終わり翌周には解除された。 谷口選手は前後ともクリアな場所で、2回目のピットでの給油リストリクターによるロスタイムの影響を減らすべく、タイムを稼いでいった。1回目のピットを引っ張ったことで2回目まではショートスティントとなるが、給油時間とライバルの走る位置を計算しながらチームはピットインのタイミングを探った。
当初はもう2周ほど走る予定だったが、66周目にアウトラップでペースの上がらない666号車(seven × seven PORSCHE GT3R)に引っかかりそうになったので、2回目のピットへと飛び込んだ。 ここでの給油は10秒のみ。タイヤは4輪を交換して谷口選手のままコースへと戻った。 コース上には15番手で戻ったが、すぐに48号車を抜き14番手。さらにピットへ入ったマシンもいて13番手にあがった。
85周、360号車が止まった際の黄旗区間の追越し違反で2号車(HYPER WATER INGING GR86 GT)がドライブスルーペナルティを受けた横を抜けて12番手に浮上。さらに26号車を3コーナーでかわして11番手まであがった。 89周目、31号車(apr LC500h GT)がタイヤトラブルでスロー走行したところを前に出て10番手となった。
しかし追い上げはここまで、 前を走る87号車(METALIVE S Lamborghini GT3)とは8秒近いギャップがあり、追いつくことはできず94周目にチェッカーを受けた。
レースはポールスタートの7号車が終盤までリードしていたが、360号車が止まった際の黄旗区間の追越し違反でドライブスルーペナルティを受けたり、ガス欠によるスプラッシュ給油のためにピットへ戻ったことなどもあって666号車が前に出て優勝。2番手に7号車、3番手に0号車(VENTENY Lamborghini GT3)というリザルトとなった。
■チーム関係者コメント

持ち込みタイヤチョイスの選択肢がもう少しあれば、もっと違う展開になっていたのかもしれない、という感触のレースでした。しかし、実際の選択肢では、もう一方のタイヤを選んでいたとしても状況が好転したとは思えないので、結果として今回の選択で良かったのだと思います。
マシンのセットアップは、選んだタイヤなりに決まっていたと感じています。ピット戦略については、特別アグレッシブなものではありませんでしたが、やり方次第ではあと2つ、3つポジションを上げられたのではないか、という反省が残っています。
第1スティントを引っ張り、セーフティカーやフルコースイエローの発生をうまく利用してタイヤ交換を1回で済ませる戦略を狙っていました。しかし、予想に反してクリーンなレース展開となり、その戦略がうまくハマりませんでした。
今回上位のマシンに比べて純粋な速さが足りない中で、チームとしてできる限りのことはやった結果がこの順位であり、納得はしています。
ただ、終始18号車と似た戦略で動いていた中で、我々のマシンは最終スティントで彼らほどのスピードが出せませんでした。セットアップの差が出た部分だと感じており、そこは残念に思っています。
(ライバルとの)ポイント差は開いてしまいましたが、最終戦はもう勝つしかありません。チャンピオンに向けて全力で頑張ります。

今回は何一つ良いことが起きませんでした。とにかく「運」に見放され、ラッキーな瞬間がなく、すべてが少しずつ悪い方向へ進んでしまったレースです。
まず根本的に、前のレースのようにタイヤがグリップしてバランスが良いという状態ではなく、終始「苦しい」と感じる状況でした。その苦しい状況を戦略や運で少しでも回復しようと試みましたが、それも叶いませんでした。
愚痴になってしまいますが、予選ではピットの位置によるコースインの不利(18台中最後から3番目でコースイン)もそうでしたし、予選Q2のアタックタイミングでは、他車のトラブルの影響による中断でタイヤが冷えたままコースインせざるを得ませんでした。さらに雨が降ってきたため、冷えたタイヤではウォームアップに苦労してプッシュもできず、ポジションを落とす結果となりました。
決勝での巻き返し作戦も、スタートライン直前に26号車が少し減速した為にアクセルを戻さざる終えず、その後背後から迫った56号車に並ばれ、抜かれてしまいました。
これらは全部「たられば」の話ですが、もし根本的にタイヤがグリップしてセッティングが決まっていれば、こうした不運はなんてことないことなのに。「もし予選でタイヤがしっかり温まって6番手にいたら」「もしあのブレーキ操作がなければ」と考えると、展開は少し違ったかもしれませんが。不幸中の幸いだったのは、これだけうまくいかない中でも(10位で)ポイントを獲得できたことです。 (ランキングは4番手となり)かなりきつい状況ですが、相手が下位に沈む可能性もあります。諦めずに「勝つ」ことだけを目指して頑張るしかありません。道は前にしかないですから諦めないでやるしかないですね。

今回のオートポリスは、我々の予想よりも気温が低く、天気予報も雨マークが混じるなど、チームとしてはあまり望ましくない状況で入りました。
練習走行から、どうもパリッとせず、我々が選んだタイヤのピークグリップ、ポテンシャルをあまり感じられない雰囲気のまま予選を迎えました。
今回も僕がQ1を担当し、とにかくQ2の片岡にバトンを渡すことに全力を尽くし、なんとかQ1を通過することができました。しかし、Q2の片岡の時には雨が降り始め、「ちょい濡れスリック」という非常に難しいコンディションになりました。ピット位置の関係(不利)や、我々のタイヤの温まりが良くない特性が重なり、非常に苦しい予選となってしまいました。
最終ラップに片岡が何とかタイムをひねり出したのですが、他車クラッシュで黄旗区間があり、タイムが抹消されポジションが下がって13番手からのスタートとなりました。
決勝を見ていても、スタートを担当した片岡はかなり苦しそうでした。この週末はとにかくタイヤのピックアップに悩まされていました。その中でも諦めずに走るしかなかったので、片岡が懸命に走ってくれました。
元々のプランとして、第1スティントはレースの真ん中あたりまで引張って交代しようという作戦でした。しかし、その戦略が裏目に出て、引っ張ったがゆえに片岡パートの後半8周ぐらいは、かなりタイムをロスしてしまったかなというところはあります。
僕に代わってからは、チームが(コース上の)非常に良い場所に送り出してくれたので、前後にマシンがいないクリアな状況で走ることができました。そのため、僕自身は割と良いペースで走れたと思っています。僕の2スティントは、どちらも今、現状の4号車でできる最大限のことはやったつもりです。しかし、ライバルチームとはかなり差があり、10位に入るまでが本当に精一杯でした。
ただ、これだけ苦しいレース展開の中でポイントが取れたことは不幸中の幸いだったと思います。

今回は、予選からタイミングも流れも悪く、パフォーマンスを出し切れていれば、もう少し上のグリッドに行けたかなとは思います。それに加えて、予選アタックが黄旗区間の通過と判定されてタイムが抹消となり、13番手からどこまで追い上げられるか、という厳しいスタートになりました。
決勝レースでは、今回持ち込んだタイヤが路面温度とのマッチングがあまり良くない状態で、基本的に「速く走る」ということが難しいレースでした。そのため、いかにコンスタントなアベレージタイムで走れるかが重要でしたが、そのペース自体もあまり良くありませんでした。あまり良い感触がないまま走っていたという感じです。さらに、チームの作戦が「(第1スティントを)引っ張る」というものだったので、スティントの最後にはタイヤを完全に使い切ってしまうなど、あまりうまくいっていなかったスティントでした。






